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犬懸(四条)上杉家

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上杉 朝房

生没年 ?〜1391年
父は上杉憲藤、母は不明。
子供に上杉房方(実父上杉憲方)
憲藤の嫡子。幼名は幸松丸 妻は上杉憲顕娘 通称は三郎左馬助
中務少輔 弾正少弼
暦応元年(一三三八年)父憲藤が戦死した時まで幼少であったため弟の朝宗とともに石川入道覚道に養われていた。貞治三(一三七四年)、四年のころ上総守護 同五年ごろから永和三年(一三七七年)ごろにかけ信濃守護を務めた。応安元年/正平二四年(一三六八年)平一揆の平定に参加する。上杉憲顕が没すると憲顕の子能憲とともに関東管領となり「両管領」 「関東一方管領」など呼ばれ山内・犬懸上杉氏の二人が関東管領に在職することとなった。
明徳二年(一三九一年)京にて没



関東管領 応安元年(1368年) ‐ 永和四年(1378年)








上杉 朝宗

生没年 ?〜1414年
父は上杉憲藤、母は不明。
子供に氏憲、氏朝、氏顕、女子
幼名は幸松丸 妻は上杉顕定娘(養女)
暦応元年(一三三八年)父憲藤が戦死した時は、生まれたばかりか出生前だったと考えられる。兄の朝房とともに石川入道覚道に養われていた。1391年(明徳2年)朝房が亡くなると家督を継ぎ、小山義政・犬若丸の反乱では関東公方側の主将として活躍する。応永二年(1395年)3月関東管領となり応永一二年(1405年)9月に辞職、応永一六年(1409年)足利満兼が亡くなると、その夜出家し上総国長柄山(千葉県長柄町)胎蔵寺に隠退応永二一年(1414年没する。




関東管領 応永二年(1395年) ‐ 応永一二年(1405年)
武蔵守護 応永四年(1397年) ‐ 応永一六年(1409年)




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