上杉 清子
生没年 ?〜1349年
父は上杉 頼重、母は不明。
子供に足利 高氏、直義
上杉 頼重の娘 上杉氏の所領 丹波国何鹿郡(京都府綾部市)で育ち足利貞氏の側室となる。
紀伊国粉河寺の観音に祈願して祈って尊氏を生んだため一三三六年(建武三年)10月 粉河寺に戸帳を寄付し、一三三七年(建武四年)領地を寄進したという。教養があり「風雅集」に和歌が収められ夢窓疎石の後輩 古先印元に帰依した。康永元年(一三四二年)12月23日 没 法号は等持院とおくられたが尊氏にこの法号が送られたため果証院と改められた。
墓所は京都市の等持院
上杉家の女性たち
>> 上杉家の女性たち >>>> 上杉家の女性たち >>