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越後上杉家

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上杉 房方

生没年 1367年〜1421年?
父は上杉憲方、母は不明。
子供に憲実、朝方、頼方、清方
上杉憲方の二男、幼名龍命丸
 当初、上杉朝房の養子であったが越後上杉家の憲栄が遁世すると越後上杉家を継ぐ。(時期は不明。1378年-1380年の間と思われる。)成人前にもかかわらず越後守護に任じられるが、背景には実父・憲方の影響があり房方が成人になるまでは憲方が職務を代行していた。
越後の中条氏・小国氏らを引き連れ在京、1400年(応永7年)には評定衆の一員に加えられた。1406年(応永13年)越後にある弥彦神社の吉田保と米宇津(新潟県吉田町)を足利将軍家の菩提所である京都の等持院に寄進。
 上杉禅秀の乱では関東公方の足利持氏を支持、兵を率いて関東へ進撃した。応永28年(一四二一年)11月10日京都の館にて病死55歳(54歳とも)


越後守護 一三八〇年(康暦二年)− 一四二一年(応永二八年)





上杉 朝方

生没年 ?年〜1422年
父は上杉房方、母は不明。

父の死後1421年(応永28年)11月越後守護に就任。
1422年(応永29年)には京都高倉の自邸に将軍 足利義持を迎えたこともある。しかし、越後上杉家を継いだ朝方の立場は微妙なものであった。(鎌倉府と幕府の関係が悪化しており、関東管領職に実弟の憲実であったことから幕府内では非常に微妙な立場に置かれていた)
一四二二年(応永二九年)10月死去する。

法名 保真院殿常堅密林


越後守護 一四二一年(応永二八年)− 一四二二年(応永二九年)







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